2013-01-28

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『呑気というのか、馬鹿というのか、どんなことが起っても頭の芯までは届かない具合で、泰然としている私も(それは肝が据っているのではなくて、神経が緊張する時の筋の彎縮度が生れつき弱くて弛んでいるためのようである)、』(森茉莉「貧乏サヴァラン」)

自分のことを言ってるのかと思った。うすうすそうじゃないか、とは思っていたけどこんな風にことばで表現されるとすんなりと腑に落ちる。頭の芯かあ。昼ごろ千駄木へ。ランチタイムに間に合うようには到底起きられないので、唯一知ってるへんな時間にやってるうどん屋をめざす。この前もそんなだったのでくわしい。たらの芽の天ぷら。ゲソの酢みそ和え。鳥天おろしぽんず。もりうどん。ビール。日のあるうちからうどん屋か蕎麦屋で飲むのがすっかり好きになっている。たぶん同じことを思っているとなりで飲んでるおじさんたちに友愛の感。根津をまわって花屋さんなどをのぞき、芸術の大学で目当ての卒業制作を鑑賞。もっと長尺でみたくなる。若い人たちのパワーがもりもりしている。エル・グレコ展を横目にみながら寒い寒い中アメ横まで歩く。パクチーどっさり買った。帰宅し、豚バラと白菜の煮物、炊きたてのごはんにいかの塩辛。これもまたしあわせ。猿も笑う冬。